SPECIAL

takt op.Intermezzo

Der Wille zur Macht

12月になった。街はそこかしこにツリーが立ち、イルミネーションで彩られている。
かつては街中に音楽が流れていたらしいけれど、贅沢は言っていられない。
わたしは今年もクリスマスを迎えることができた。
去年はコゼットと一緒にケーキを作って、タクトの家に持ち込んで3人で食べた。
あれから随分、時間が経ってしまったような気がする。

ニューヨーク・シンフォニカでの一連の騒動は、地下からせり出してきた巨大な黒夜隕鉄の消失をもって、終息ということになっていた。
しかし、当事者であるわたしたちにとっては、何も終わっていなかった。
タクトの救出に、運命の捜索。
運命はついに見つけることができなかった。
ただ、残されていたものがある。タクトの右手が握っていた、ドックタグのようなもの。
そう、あの子はちゃんとわたしとの約束を守って、タクトを帰してくれたのだ。
表情はとても安らかだったけど、まるで生きているように見えなかったタクトは、ロッテの適切な処置で命を繋いだ。
しかし、これからずっと、とてもとても長い間眠らせてあげないと、治らないらしい。
寝食を忘れてピアノを弾き続けていたころにも、似たようなことはあった。少し懐かしい気分だ。

ニューヨーク・シンフォニカは全壊に近い状態だった。
以前の機能を取り戻すには相当の時間が必要なうえ、抜本的な組織体制の見直しも行われることになった。
万全な設備で治療を行うため、タクトも近く別の場所に移送される。

ただ、公表はしないそうだ。
グランドマエストロたるザーガンがすべての黒幕だった、ということは。
パパがこっそり教えてくれたけれど、シンフォニカ側はそれでも事実を発表することを主張したらしい。
それでいろんなところが紛糾したみたい。
つまりいわゆる……政治決着、というやつ。
シンフォニカに頼り切りの世界が、シンフォニカへの信頼を失ったらどうなってしまうか。想像に難くない。分断された世界の出来上がりだ。
地下に保管していた大量の黒夜隕鉄が原因不明の暴走。シンフォニカは自力で事態を治めた。そういうことになった。
その過程でたくさんの人の命が失われたことだけは、淡々と報道されていた。

かくして英雄は英雄のままこの世を去り、無名の音楽家は静かに眠りにつく、と。
「……理不尽」
思わずぽつりと言葉が漏れた。

そう、理不尽なことばかりだった。
旅に出る前も、出た後も。この世界の成り立ちから今に至るまで、わたし達は理不尽に振り回されて続けている。

レニーさんのことは、タイタンが話してくれた。
レニーさんも、理不尽に逆らい続けていたんだと思う。
決してそんな素振りは見せなかったけど、心の奥底には怒りを源泉とした炎が燃え上がっていたはずだ。

タクトも。
タクトもずっと、理不尽と戦い続けてきていた。
どこに何をぶつけたら良いのか。何をすれば自分の怒りが伝わるのか。それがわからないからずっと、音を奏で続けていた。
音楽を止めた世界に、それは間違いだと声高に叫び続けていた。

どれだけ世界から排斥されそうになろうと。
どれだけ心を砕く辛い現実を浴びせかけられようとも。

彼は、音楽を止めなかった。
音楽を繋いでいこうとした。
たとえ命を喪っても、音楽は残り続ける。
自分にも、他人にも、世界にも、それを示すように。

ふいに、曲をそらんじる。
おそらく、世界の誰もが知らない旋律。
「……ちゃんと聞いてみたかったな、あれ」

タクトの部屋を整理していたときに、楽譜を見つけた。
しわくちゃの譜面、乱雑に書き記された音符、番号もテンポも記されていない落書きのような、楽譜。
しかしそこには、確かにタクトの音楽があった。
ひときわ汚く記された、誰にも読ませる気がないであろう走り書きの、曲の標題。

「With Love」

それを見たとき、衝撃が走った。頭をがつんと殴られたかのようだった。

タクトは、最後に出会ったのだ。
愛に出会って、音を紡いだ。
世界に残すべきは「それ」だと、確信をもった。

ぐわんぐわんと揺れる脳裏に、今までの彼との思い出が蘇ってくる。

家に籠もりきりでピアノを弾き続けていた彼。
コゼットに出会い、少しずつ感情を取り戻す彼。
コゼットを喪い、慟哭する彼。
旅を続けるうちに、世界に向き合い始める彼。
音楽のために、覚悟を決めた彼。

『今まで、本当にありがとう』

忘れない。
あの残酷な言葉は、絶対に忘れない。
二度と言われたくない言葉だ、あれは。呪詛ともいえる、呪いの言葉だ。
でもその時のわたしには力がなくて、何も出来ることはなかったから。
彼の口をふさぐことしかできなかった。

彼は見つけた。愛を。
コゼットはもともと、知っていた。
運命もきっと見つけたのだろう。

コゼット。運命。さよならも言えずに去ってしまった、大好きな妹たち。

わたしだけだ。
わたしだけが、残されてしまった。

ならば、残されたわたしに、何が出来るのか。
決意はその時に、固まった。

開演。
いつまでも悲しみに沈んでいるわけにもいかない。
わたしは戦わなければならない。

音楽はまだ戻ってきてはいない。
彼らが命を賭して守ったものがなんだったのか。
示さなければならない。
届けなければならない。

いずれ目覚めるであろう彼に、音楽を。
わたしは進む。この先に。
音楽を届けるために。
愛を伝えるために。

彼がたとえすべてを忘れていたとしても。
彼がたとえすべてを喪っていたとしても。

Show must go on.
音楽は、生き続けるのだから。

 

秘匿音声記録

(雑音)
記録を開始。

ニューヨーク・シンフォニカ統括。グランドマエストロを拝命する者です。
これは私の遺言です。
なぜならばこのデータが再生されている以上、私は失敗しているに違いないのですから。
初めに申し上げておきたいのは、この口述は懺悔ではないということです。
私はこれから私が行うことに絶対の確信を持っています。
すなわち、すべての責任は私、ザーガンにあります。
他の誰でもない。志を共にする者もいません。
したがってこの計画を語るに足るのは私のみです。

私は10年以上、コンダクターとしてシンフォニカに仕えてきました。
音楽……本来はそのように用いるべきではない、人類が誇るべき芸術を、争いの武器として扱い、あの侵略者たちを屠っていく。
かつて私はそれに一切の疑問を持っていませんでした。
そうしていくつもの戦場を越え、わずかな勝利を重ねるにつけ、私は「英雄」と称されるようになりました。

英雄。
なんと重い責務か。

私には敗北は許されなくなりました。
英雄などともてはやされたところで、私がやっているのは兵士に「戦って死ね」と指示することと変わりがありません。
私の号令で一個中隊が突撃する。
私の指揮で生身のムジカートが喜んで死地に赴く。
ある時私の目の前で、一人の若い兵士がD2に蹂躙されました。
彼は私を振り返って、笑ってこう叫びました。
「マエストロ、さあ今です。この隙にこいつらを殺してください!」

その日から、私のゆく戦場であらゆる怨嗟の声が聞こえるようになりました。
それでも退くことは許されません。
いつしか私は疲労していったのでしょう。
自傷も数えればきりがないほど行いましたが、痛みを感じないのです。
いっそ銃弾を頭に撃ち込めばよかったのかもしれませんが、どうせ痛くはない。
痛みの中で死んでいった彼ら、この国の罪なき人々がいるのに、私は無痛の中で死んでいく。
そんなことが許されるのか。

しかし……ある日私は一つの啓示に出会ったのです。
燃え滓のような大都市の中心で、あの黒夜隕鉄に触れたとき。
あれはまさに天籟(てんらい)でした。
その瞬間の喜びはまさに、かの大音楽家が残した詞の通りに。
「おお友よ、この様な響きではなく、もっとすばらしい音を奏でようではないか」
そう、伝わってきたのです。
響き渡ってきたのです。
これより先に、私がなすべきことが。

苦悩を突き抜けて、歓喜へ至る。
ボストンの惨劇も、それより連なる戦いの連鎖も、すべては歓喜へ至る道の過程。
世界に必要な傷跡だったのです。

これにより一時、世界は音楽を奏でるのを止め、侵略者は静かに眠りにつきました。
人々は、静寂の最中に平和を感じたはずです。
そして、その静謐に喪失を感じたはずです。

音楽は心を照らす光。
それが喪われた世界に、再び光を取り戻すために。
何を捨て、何を得るか。

そう。
これは、私が選んだのです。
なぜならば、私は英雄なのですから。

黒夜隕鉄を集め、この地を贄として、他を救う。
この身を贄として、すべてをここに集め、終わらせる。
それこそが、私の痛みになりうるのです。

これは自棄ではなく。
これは破滅でもなく。

世界へ、救済をもたらそうとした、英雄の愚行なのです。

準備は整いました。
あとはあの石に触れるだけ。それですべて終わる。すべて始まる。
あるいは彼が私のもとにたどり着くか否か……それこそ運命の選択と言えるでしょう。

記録を終了。
心より出で、願わくば再び心に戻らんことを。

 

The Dream Quest of Unknown Tomorrow

ニューヨーク・シンフォニカの地下に集められた、黒く鈍く光る石。
これが黒夜隕鉄というものらしい。その不気味な光を見ていると、これがあのD2を生み出す諸悪の根源と言うことも頷ける。
憎たらしさのあまり蹴飛ばした事もあったが、不愉快な反響音を響かせるだけでびくともしなかったのが癪に障った。

おっと、今のはあくまで最初の頃の話だ。さすがに今は丁重に扱っている。
建設中のこの施設に必要不可欠な資材なのだから。

ニューヨーク・シンフォニカ地下の開発現場は佳境に入っていた。
資材も全て届き、現場の人員の士気も高い。ついこの前ザーガンGMが直々に鼓舞に来てくれたからだろう。
「諸君にばかり苦労をかけてすまない」と、深く頭を下げるザーガンGMの姿に心を打たれた奴らが多い。職人は、心で感じ心で応じるものだ。

そう。
黒夜隕鉄やら、ハルモニア鉱石やら、技術的に何をするためのものなのかなんて、俺にはさっぱりわからない。
この施設がどんな用途に用いられるかは不明。しかも秘密裏の依頼。
そんな仕事、普通だったら受けない。

しかし、ザーガンGM直々の依頼とあっては、断れない。
あの人は無条件で信じるに値する人だ。

俺達にとっての英雄。それがザーガンGM。
戦場で萎縮していた俺達を鼓舞し、誰よりも前でD2どもをなぎ倒していった。
その勇敢な姿を、俺ははっきりと覚えている。
命を救われたことだって、一度や二度じゃすまない。

あの日、俺達はザーガンGMを信じて共に戦い、その結果D2の脅威は去った。
俺達は俺達の手で、ニューヨークを守り切った。
ならばこの設備だって、D2どもを倒すためのものに違いない。

なぜ秘密裏なのかと疑うやつもいるが、俺はやる。
俺は、ザーガンGMの見ている未来を信じた。
最後までそれについて行く。
かつての戦争の時と同じ。

その先に、平和が待っているはずなのだから。

 

from"The Adventures of Lenny and Titan"

早朝の食堂にはまだ誰もいなかった。
いつもの冷えたパンと、炒り卵に、ソーセージ。それに少しのフルーツ。
かぼちゃのスープがあったのがちょっとした救い。
今日は大事な面会があるんだから、元気を出さないと。
ついにタイタンのコンダクターが決まるのだ。

「……うん、きっと大丈夫!」

そう独りごちて、かぼちゃのスープをぐいっと飲みきろうとした。

「あれ?」

気付けば食べ終わっていて、すでにスープはカラ。
思わず自嘲気味な笑いが漏れた。
「ガラじゃないなあ、こんな風になってるの」
戦いには慣れていても、人との距離感は難しい。
ムジカートとして優秀でありながら、連携が上手く出来ずに爪弾きにされてしまう子を何人も見てきた。
タイタンなら大丈夫! って自信はあったけど、確信はイマイチ。

これはもうタイタンだけの話じゃないのだ。
ムジカートとコンダクター。相手がいることなのだから。

「タイタンのコンダクター……」

何度も確認した資料に、今一度目を通す。
すでに内容は暗記しているが、何かを目に入れていないと落ち着かなかった。

――氏名:レナード・フライハート。
――前歴:チェロ奏者、ルースター・シンフォニー・オーケストラ副指揮者。
――同オケのボストン公演中、大規模なD2襲撃に遭遇。生存するも全身が負傷。
――病院での検査時に適性が発覚し、コンダクターへ転身を決意。
――前例にないほどのスピードで初期訓練を終え、本日正式にコンダクターになる。

「……大変だったんだよね、ここまで」

その文字情報だけで、レナードさんの辛さと必死さがよくわかる。
胸に抱いているであろう気持ちも、予想はつく。
今、そこにあるのはきっと「怒り」や「悲しみ」など、音楽とは無縁の感情だ。

そうじゃない。
一緒に戦う人に、そういう気持ちでいてほしくない。

どうすればいい。
何をしてあげよう。
何を見せてあげよう。
何を聞かせてあげよう。

そう考えていたとき、不意に窓ガラスが目に入った。
思わず声が出る。

「うわっ」

ガラスに映っていたのは、緊張して表情がこわばったタイタンの顔。
色々と考えるあまり、眉間にしわの寄った、タイタンにあるまじき表情だった。
これでは、アシンメトリに結った髪もかえって不気味に見えてしまうかもしれない。

「……ひどい顔」

これではだめだ。
こんなタイタンをマエストロに見せたいわけじゃない。

両の手でぐにぐにと顔をいじくりながら、まだ見ぬマエストロのことを考える。
見せたい表情を。
聞かせたい音色を。
抱いてほしい気持ちを、考える。

音楽とは、かねてよりそういうものだ。
聴衆に届ける、贈りもの。

タイタンにとっての最初の聴衆は、マエストロ。
マエストロとの最初の出会いのかたちが、タイタンという楽曲のかたちになるのだ。
ならば、何を届けるか。

「タイタンが、届けたいもの……」

思わず声に出てしまい、苦笑が漏れる。
ガラスのなかのタイタンも、釣られてくしゃりと笑っていた。

時間は早朝、雲間からきらりと日の光がまばゆく差し込む。
すべてのものがキラキラと輝いて見えた。
まるで、背中を押してくれてるかのように。

「そうだよね」

一度瞑目し、納得したように呟く。
見開かれた目に映ったガラスごしのタイタンの顔は、明るくまばゆく見えた。

これから先、ずっと。
マエストロがどういう人で、どういう気持ちになっていたとしても。

一緒に笑えるようになろう。
そう思った。
そう決めた。

出会うために歩き出す、タイタンの表情は明るく。
届けたい、満面の笑みがそこにはあった。

 

あるシンフォニカ研究員の日記

今、私は使命に燃えている。
なぜならば、コンダクターとムジカートの研究に従事することになったからだ。
にっくきD2を打倒するための最前線ともいえる研究だ。私にとってなによりも希望した研究だ。これで燃えないはずがない。

コンダクターとムジカートについては、未だ解明されていない部分が多い。
正直、ニューヨークシンフォニカでも遅々として研究は進んでいないと聞く。
あの超常的な力の仕組みを解き明かせれば、世界のためになる。
必ず。

明後日より拝命だ。
粉骨砕身の覚悟で頑張ろう。

---

何もわからない。
いや、何もわからないということはわかったので、進歩ではある。
小さな積み重ねこそ、大きな成功へ結びつくのだ。

ちなみに何もしてなかったわけではない。
私は勇敢にも、現役のコンダクターやムジカートに体当たりでヒアリングをかけた。
煙たがられもしたが、何度もコミュニケーションを重ねる上で、聞き取れたコンダクターとムジカートの情報をここに記す。
コンダクター曰く「ムジカートの音を感じる」
ムジカート曰く「コンダクターが整えてくれる」
彼ら彼女らは感覚に頼りすぎではなかろうか。
だが、どのムジカートに聞いても、返ってくるのはそういった感覚的な言葉のみだった。

わからない。
コンダクターもムジカートも、わからない。

---

かつて、クロード・ドビュッシーは言った。
「音楽から科学的なものを取り除かなければならない」と。
ムジカートとコンダクターの関係はまさにそれなのかもしれない。
科学的に分析できるものじゃないのだ、これは。
諦めたのではなく、まずそれを認めることから始めなければ進まないと私は判断した。

事実を整理しよう。
ムジカートは、単独では継続戦闘能力に難があり、すぐにエネルギー切れを起こしてしまう。
コンダクター不在のムジカートの話を聞くに、このエネルギー効率の悪さは意識的なものではないようだ。
しかし、コンダクターとともにあるムジカートは、その欠点を克服する。
コンダクターがエネルギーを供給している……というよりは、効率の良いエネルギー運用を指示しているというべきか。
すぐそばで、しかし客観的にムジカートを見ている、ムジカートの音を聞いているからこそ出来ることなのだろう。
なるほど、指揮者とはよく言ったものである。

「音楽を身に宿した兵器ならば、指揮ができるはずだ」と考えた最初のコンダクターは、やはりどこか頭のネジが飛んでいたとしか思えない。
そのぐらいの、発想の自由さが必要なのだ。
シンフォニカに来て……コンダクターやムジカートと話すにつれて、それがわかってきた。
いや、肌でそう感じた。

がんばろう。
コンダクターとムジカートを、知るために。

 

ある少女の日記

◯Day1

新しい一日が始まった。この世界は私に何をしてくれるんだろう。
って、ママが昔こっそり見せてくれた映画のことばを思い出した。
わたしと同じ名前の女の子が出てくる古い映画。

今日、わたしはコゼット・シュナイダーになった。
お姉ちゃんがいきなり二人もできた。
でも、しばらくはアンナさんと二人きり。他のみんなは仕事でニューヨークに戻らなきゃいけないんだって。
いちどに家族が四人も増えたら驚いちゃうから、二人だけの方が気が楽だと思ったけど、そんなこともなかった。
やっぱり緊張しちゃったみたい。
せっかくアンナさんが作ってくれたごはんが食べられなかったから。

ごめんなさいって言ったら、アンナさん、タルトタタンをだしてくれた。
懐かしいにおいがして、気づいたら全部食べちゃってた。
とても、とてもおいしかった。
それを伝えたら、アンナさんはにっこり笑って、また作るって言ってくれた。
嬉しかった。

アンナさんだって、いきなりわたしと一緒に暮らすことになって不安だと思う。
けど、それでも楽しそうに笑ってくれてたので、ほっとした。
まだ少し恥ずかしいけれど、明日は「お姉ちゃん」って呼んでみようかな。


♪Day2

不安。とっても不安。
あの人、なんだかとっても、不安だ。

アンナお姉ちゃんは、近くに住んでる幼馴染みの世話もしてあげてる。えらい。
だからわたしも手伝おうと思って、ついていった。
「年下のくせに、生意気なやつなの」ってアンナお姉ちゃんが教えてくれたんだけど。

その家、まずピアノがあった。
グランドピアノ。すごい。

そしてピアノの側に、なにかいた。
たぶんあれは人なんだと思うけど、ちょっとあやしい。
あれはきっと、ピアノを弾くおばけかなにかだと思う。
近くで掃除してても何してても、気にせずずっとピアノを弾き続けてるんだもの。

すごく無愛想なその人は、朝雛タクトさん、っていうらしい。
なんだか、すごく不安で、すごく気になる。
見ていると、自分が感じてた不安がどうでもよくなるぐらい。

……そういえばアメリカって音楽禁止じゃなかったっけ?


♫Day3

すごい。すごい。
すごいヘンで、すごい。

ヘンな人、朝雛タクト君。
わたしより年上みたいだけど、わたしより生活能力ないから今日から君付けにする。
なにがすごいって、ほんとピアノ以外何もできない。
ご飯も作らなければ、掃除もしない。
なんとか風呂とトイレは一人でできるようだけど、それだけ。
すごい。どうやって生きてきたんだろう。

だけど。
それでもピアノだけはすごい。タクト君のピアノはすごい。
なんだろう。なんだろう。命がけ、っていえばいいのかな。
胸の奥に響いてくる。熱が伝わってくる。
身体の芯からぞくぞく、ってなる。すごい。

すごいなあ。音楽って、すごいんだなあ。

そういえばママからもらったペンダント、タクト君のピアノを聞いたあとに、光ってたような気がする。
ママも喜んでたってことかな? だとしたら、嬉しいな。

ばいばい、これまでのわたし。
よろしく、これからのわたし。

 

定期連絡

ハァイ、天国。
定期連絡って面倒よね。
こういうの、あなたのほうが向いてるでしょ、っていつも思うんだけど。
あぁ、でもね、ちょっとおもしろいことがあったの。聞いて。

朝雛タクト。
この名前、とくにファミリーネーム。聞き覚えない? 報告すればわかると思うわ。
コンダクターになってたわよ、彼。
運命っていう、宝石みたいな瞳をしたカワイイムジカートを連れて、ね。
ワルキューレちゃんともさっそく良い感じになってたし、コンダクターとしての才能もありそう。フフッ。見たら天国も惹かれちゃうかもね。
彼、ニューオーリンズからニューヨークに向かうって言ってたわ。
あたし達が向かうのもそっちのほうだし……もしかすると、また会えちゃうかも? 貰っていい? 壊していい? ダメ?

ちなみに、首席指揮官サマは彼をとても不快に思ってるみたい。
部下になれとか言ってヘタな勧誘したんだけど、やっぱり失敗して、なんともかんとも。
男の嫉妬って怖いものだからねぇ。例のヤツ、また使うことになりそうよ。

連絡は以上。
マエストロに、よろしくね。

P.S. このお仕事、そろそろ飽きてきたし、代わってくれない?

――閲覧者コメント:内容精査の上、文体修正後GMに提出

 

『D2ならびに黒夜隕鉄と音楽の相関性』

敵対性不明生物対策協議会 第三期中間報告より一部抜粋
10/12/2037

~(前略)~

2.1 平時における国民への敵対性不明生物(以下、D2と記載)情報提供

○ D2襲来時の危機に対応する情報提供だけでなく、予防的対策として、平時においてもD2襲来を未然に防ぐための情報や様々な調査研究の結果などを国民に情報提供する。こうした適切な情報提供を通し、D2が出現した場合の対策に関し周知を図り、納得してもらうことが国民に正しく行動してもらう上で必要である。

~(中略)~

5.1 D2対策について

○ 諸外国における知見を踏まえ、また国内において回収した黒夜隕鉄を研究した結果、次のように考えられている。

(1) D2と音楽の関係

○ D2と呼称される敵対性不明生物の核となるものが黒夜隕鉄である。原理はいまだ未確認ながら、黒夜隕鉄は音楽に対して過敏に反応を示し、極めて攻撃的に活性化する。D2は核である黒夜隕鉄の活性に従い、音楽のある場所への聚合・攻撃を行うと推測されている。

○ 人の手による音楽演奏に対しての反応が特に強いことが確認されている。音源記録媒体の視聴も同様である。潜伏状態のD2を検知するために有用な手段ともいえるが、万全な対抗策が確立されていない現況下での詳細な調査はリスクが高いため推奨しない。

(2) 黒夜隕鉄の封印措置

○ D2は活性状態にある黒夜隕鉄に対しても聚合する習性が認められる。

○ 黒夜隕鉄は、音楽が存在しなければその活動を休止させる。
活動休止までに必要な経過時間は■■■時間と推察されている。

○ 黒夜隕鉄の活性化を制限する研究はすでに開始され、封印手段は確立されつつある。但し、その効果はまだあくまで低減である。完全な封印手段の確立には研究、試験を引き続き行っていく必要がある。

(3) 民間でのD2対策

○ 音楽の演奏ならびに視聴について、地下もしくは地底の遮蔽空間、あるいはそれに準ずる密閉空間や防音環境においてはD2による認知軽減の効果が一定認められる。詳細については「音楽演奏に関連するD2対策ガイドラインの見直しに係る意見書」で取りまとめられている。

○ 上記意見書については緊急訂正の後に議事録より削除。

○ 音楽の演奏について、コンサートホール等の密閉環境においてもD2の襲撃を受ける事例が確認された。襲撃の詳細については「2037年ボストンコンサートD2襲撃事件に係る報告書」で取りまとめられている。

○ 国民の安全な生活に対する影響力の大きさも踏まえ、音楽自体の強制的な禁止措置を検討する必要がある。

 

D2対命第65号

D2対命第65号
8/25/2047
0900

巨大黒夜隕鉄の発見に対する、封印処置命令の実施及び運搬回収に関するシンフォニカ戦力移動命令

  1. 2047年8月に巨大な休眠状態の黒夜隕鉄が発見された。将来的な大規模なD2災害の誘因可能性がある。
    _
  2. ニューヨーク・シンフォニカは、2047年8月発見の黒夜隕鉄封印処置を行う。
    尚、この黒夜隕鉄の運搬回収につき休眠中のD2が活発化する恐れもあるため、併せてニューヨーク・シンフォニカ保有戦力の移動を行う。

3. シントラー首席指揮官は、戦力移動の実施及び黒夜隕鉄運搬の指揮を、次により実施せよ。
___(1) シンフォニカに属する作業員の員数即応可能な作業員を、最大100人規模で動員する。
___(2) シンフォニカに属する機材・兵器の総量
______黒夜隕鉄運搬用の強化装甲列車。
______機材回収及び悪路開拓のための重機一式。
______ムジカート・地獄、ムジカート・ワルキューレの随伴。
______尚、ワルキューレにおいてはコンダクター不在のため稼働時間に問題があるため、留意する。
___(3) 経由地点
______回収地点:南中央地区ロズウェル近郊
______中継地点:ヒューストン
______目標地点:ボストン研究所
___(4) 命令の実施時期
______直ちに命令を実施し、その終期は運搬任務の完了報告が受理されるまでの間とする。

4. この命令の実施に関し必要な細部の事項は、シントラー首席指揮官に指令させる。

 

「流通、回復の道筋。鍵は官民一体の事業戦略」

D2の活動が小康状態となり、落ち込んだ経済の回復に向けて、インフラの整備が急ピッチで進められている。
東海岸から中央部の被害状況は甚大であり、いまだ踏み入ることの出来ない地区も多いが、東西をつなぐルート整備は順調に進行しており、流通は回復の兆しをみせている。
これにより街中で市場なども開かれるようになり、多くの市民が集い、賑わいをみせていた。

政府とシンフォニカは共同声明のなかで、遅れている区画の復興に多額の予算と人員を割くことを公表しており、これからの復興にも期待が集まる。

また、流通回復の遅れている地区では、土地の再開拓、農地開発が進められている。
ラスベガスはかつてのD2襲撃によって、主要であったカジノ産業は完全に停止。しかし、市民主導による開拓指導によってトウモロコシなど穀物の大量生産に成功し、今では西地区を中心に食材流通の安定化に大きく貢献している。
ラスベガス代表市民のラング氏は「ラスベガスを戦禍復興の中心地として盛り上げ、各地からの難民を受け入れて農地開発を進め、やがては食材流通の中心地にしていきたい」と語っていた。

復興の道を辿るアメリカ各地。
目下の課題は潜伏しているD2の存在であり、シンフォニカは広く目撃情報を呼びかけている。

――L.A.News Report/August 24,2047

 

ニューヨーク・シンフォニカのガイドブックより抜粋

About Us
♫~ニューヨーク・シンフォニカについて~♫

シンフォニカは「人々に天球の音楽を」という創設理念のもと、
社会貢献を目的とする民間団体として設立されました。

(中略)

やがて叡智の結晶たる『ムジカート』の開発に成功した我々は、
頻発するD2襲来に対抗すべく、各地に大規模な運用施設の建設を開始しました。

戦略防衛基地:シンフォニカ。
人類守護の砦とも言える場所です。
ここには最先端の研究施設はもちろん、情報・防衛のすべてが集まっています。
各国政府の完全協力を得て、現在も大都市を中心に建設を進めています。
すでにニューヨーク、ジェノヴァ、ベルリンにはシンフォニカが完成。
みなさんの街の『安心』でありたい。それがシンフォニカの願いです。

これらを運営するのがシンフォニカ・インターナショナル・オーガナイゼーションです。
各地域によって管理方法が異なり、時代やニーズに合わせた柔軟な運営を信念としています。
ここニューヨーク・シンフォニカの統括(GM)にはザーガン氏を迎えました。
かの大戦の英雄による指揮の下、厳しい訓練と試験を経て選抜されたコンダクター達が所属。
優秀なムジカートを複数体配備し、日々皆さんの安全のために従事しています。
そしてニューヨーク・シンフォニカでは、広大なアメリカ大陸全土をカバーするために、
9つの支部による支部管理制度を導入しました。
ニューヨーク本部とすべての支部には直通回線を開設し、24時間・リアルタイムの対応が可能です。

ニューヨーク・シンフォニカの体制は盤石です。
いままでも、そしてこれからも。
国民の皆さんのため日々活動している、シンフォニカへの応援と協力を、どうぞよろしくお願いいたします。

 

ボストンの惨劇

昨夜6時30分頃、ボストンで大規模なD2の襲撃事件が発生しました。
シンフォニカの制圧部隊が緊急出動し事態は鎮圧されたものの、ボストン市街への被害は甚大で、一日経った今もなお現地では行方不明者の捜索と生存者の救助が進められています。
事件発生時刻、市内のコンサートホールでは市民の慰労のための演奏会が開かれており、 一部のシンフォニカ関係者から「D2はこの演奏会を標的にしたのではないか」という情報が入っております。

なお、この襲撃によってホールは全壊し、演奏中だった指揮者・朝雛ケンジ氏をはじめ、楽団メンバーの多くも犠牲になったとのことです。
市街の被害も含めた死者・行方不明者は100人をゆうに超え、今後もさらに増えると見込まれています。
政府ならびにシンフォニカは今回の事件について被害者に哀悼の意を示すとともに、襲撃の発生自体を非常に重く捉えており、近く会見を開き今後の対応についての発表を行うとのことです。

(「ボストンの惨劇」発生翌朝のニュース・レポートより)

 

ザーガン宣言

脅威は去った。
D2は多くを失い、眠りについた。シンフォニカはその番人となった。

いまやこの大陸のどこにも、D2の場所は存在しない。
ただの一つも。

世界を闇に沈めた化物は去った。
時代は再び、前へと歩み始める時である。立場も、人種も、関係なく。
悲しき時代を乗り越え、恐ろしい敵に打ち勝ったこの事実は、想像以上に全人類を団結させていくだろう。

だが、音楽はまだ始めるべきではない。
刻まれた傷跡は、いまだ大地に残されている。
それが癒えるまでは、今暫しの時が必要だからだ。
それだけが、これより先に私の望むことだ。

安心してほしい。シンフォニカは共にある。
信じてほしい。シンフォニカは共にある。

我々が、旗印として、新しい世界のあり方を示そう。

――2043年『ザーガン宣言』より抜粋。